バルト三国の中心都市であるラトビアの首都「リガ」は、歴史的建造物が数多く残る美しい街として知られています。中でも20世紀初頭に建てられたアール・ヌーヴォー様式の建築群は、世界的にも評価が高く、ユネスコの世界遺産にも登録されています。
「アール・ヌーヴォーの都」と称されるこの街には、コンスタンティンス・ペクシェーンス、ミハイル・エイゼンシュテイン、エイジェンス・ラウベなど著名建築家が手掛けた建築物が現存しており、その多様なデザインや装飾が訪れる人々を魅了しています。
こちらの記事では、リガで見逃せない歴史的建築物を手掛けた著名建築家6名の作品(合計18)を紹介。街歩きが好きな方や建築に興味がある方におすすめのガイドになっています。ぜひ最後までご覧ください。
【1】コンスタンティンス・ペクシェーンス設計の建築物(5つ)
コンスタンティンス・ペクシェーンス(Konstantīns Pēkšēns、1859〜1928年)は、リガを代表する建築家の一人で、特にアール・ヌーヴォー建築の発展に大きく貢献しました。19世紀末から20世紀初頭にかけて、数多くの住宅や公共建築を手掛け、その多くが現在もリガ市内に残されています。
実用性と装飾性を融合させたデザインを得意とし、繊細な装飾やファサードで知られています。また、後に有名になる若いラトビア人建築家のほとんどが彼の建築事務所で働き、若き日のエイジェンス・ラウベを育てたことでも知られるなど、ラトビア建築界の発展に寄与しました。特にアルベルタ通りにある彼の作品群は、リガのアール・ヌーヴォー様式を象徴する存在となっています。
1. アルベルタ通り12(Alberta iela 12)の建物
「Alberta iela 12」の建物は、1903年に建築家コンスタンティンス・ペクシェーンスの設計で建てられたアール・ヌーヴォー様式の建物です。ファサードは繊細な装飾や曲線が美しく調和し、当時の建築技術と芸術性の高さを感じさせます。この建物には、若き日のエイジェンス・ラウベも関わっており、後に彼が活躍する礎となりました。現在はアール・ヌーヴォー博物館などとして利用されています。
2. 砂通り2(Smilšu iela 2)の建物
「Smilšu iela 2」の建物は、コンスタンティンス・ペクシェーンスの設計で1902年に建てられたリガにおけるアール・ヌーヴォー建築の傑作です。赤レンガと漆喰の対比が美しく、動物や神話モチーフの装飾が随所に施されています。2階部分には古代ギリシャの柱装飾などで用いられていたカリアティードとアトラスの像があります。
3. 教会通り4a(Baznīcas iela 4a)の建物
「Baznīcas iela 4a」の建物は、コンスタンティンス・ペクシェーンスの設計で1901年に建てられた集合住宅。アール・ヌーヴォーと折衷主義建築が融合した美しい外観が特徴。ラトビアの作家「アレクサンドル・グリン(Aleksandrs Grīns、1895〜1941年)」が住んでいたことでも知られています。
4. テルバタ通り14(Tērbatas iela 14)の建物
「Tērbatas iela 14」の建物は、コンスタンティンス・ペクシェーンス及びアルトゥールス・メードリンゲルス(Artūrs Mēdlingers)の設計で1909年に建てられたアール・ヌーヴォー様式の建物。リガ商人組合相互信用組合の建物として建てられ、現在のファサードに当時の名残が残っています。外壁はフィンランドやスウェーデン産の黒花崗岩で覆われた外観が特徴です。
5. 自由通り88(Brīvības iela 88)の建物
「Brīvības iela 88」の建物は、1910年に建てられたアール・ヌーヴォー様式の集合住宅・商業複合施設。コンスタンティンス・ペクシェーンス、エルネスト・ポレ、ヤーニス・アルクスニスが設計を担当、建設当時はラトビア最大級のアパートメントでした。1930年代には著名人が住んでいましたが、1990年代以降は衰退し、現在は1階部分を除いて廃墟のようになっています。
【2】ミハイル・エイゼンシュテイン設計の建築物(7つ)
ミハイル・エイゼンシュテイン(Mikhail Eisenstein、1867〜1920年)は、ロシア帝政時代のリガで活躍した建築家であり、特にアール・ヌーヴォー様式の建築で知られています。彼は現在のウクライナ・キーウ県ビーラ・ツェールクヴァで生まれ、1893年にサンクトペテルブルク土木工学大学を卒業し、ロシア帝国の一部であったリガに移住しています。
リガ移住後はリヴォニア県地方自治体の交通道路部に勤務し、1900年に部長に昇進。同時に建築家としても活動し、1900年代初頭のリガでアール・ヌーヴォー様式の建築物を多数手掛けました。豊かな装飾や彫刻、シンメトリーな構造が特徴。建物のファサードには、人面装飾や植物文様、神話的モチーフなどが大胆に取り入れられており、観る者に強い印象を与えます。彼の作品は、リガのアール・ヌーヴォー建築の象徴とされ、世界遺産「リガ歴史地区」の評価にも大きく寄与しています。
なお、彼は世界的に有名な映画監督「セルゲイ・エイゼンシュテイン」の父としても知られています。
1. アルベルタ通り(Alberta iela 2a)の建物
「Alberta iela 2a」の建物は、ウラジミール・ボゴスラフスキー(Vladimir Bogoslavsky)大尉の依頼により、ミハイル・エイゼンシュテインの設計で1906年に建てられた集合住宅。アール・ヌーヴォー様式にエジプト的要素が入れられており、入口には2体のスフィンクスが設置されています。装飾に加え、建物に入れられた赤いラインが特徴的です。なお、入口向かって左には哲学者「アイザイア・バーリン(Isaiah Berlin)」が住んでいたことを記念するプレートが掲げられています。
2. アルベルタ通り(Alberta iela 4)の建物
「Alberta iela 4」の建物は、ミハイル・エイゼンシュテインの設計で1904年に建てられたアール・ヌーヴォー建築。国家評議員「アンドレイ・レベディンスキー(Andrey Lebedinsky)」邸として建てられ、装飾的で調和のとれたファサードが特徴。建物上部の三頭のメデューサ像、入口のライオン?の装飾がとても印象的です。
3. アルベルタ通り(Alberta iela 6)の建物
「Alberta iela 6」の建物は、ミハイル・エイゼンシュテインの設計で1903年に建てられたアール・ヌーヴォー様式の集合住宅。玄関上部の三つのマスカロン(仮面彫刻)が注目ポイントで、中央にはギリシャ神話のオリュンポス十二神の一人「ヘルメース」、その両脇には女性の顔が配置され、神秘性と優雅さを演出しています。
4. アルベルタ通り(Alberta iela 8)の建物
Leo Pole邸(Alberta iela 8)は、ミハイル・エイゼンシュテインの設計で1903年に建てられたアール・ヌーヴォー様式の集合住宅。青い陶板、樹木を思わせる中央の突起部分、建物上部のライオン像が印象的な建物です。「ユーゲント・シュティールの宝石箱」と称される必見の作品です。
5. アルベルタ通り13番地(Alberta iela 13)の建物
「Alberta iela 13」の建物は、ミハイル・エイゼンシュテインの設計で1904年に建てられた豪奢なアール・ヌーヴォー様式の集合住宅。神話的な彫像や幾何学模様などの装飾が特徴的。国家評議員「アンドレイ・レベディンスキー(Andrey Lebedinsky)」の邸宅として建てられ、現在はリガ法科大学院などが入っています。
6. エリザベス通り10b(Elizabetes iela 10b)の建物
「Elizabetes iela 10b」の建物は、ミハイル・エイゼンシュテインの設計で1903年に建てられたリガのアール・ヌーヴォー建築の傑作です。ファサードは鮮やかな青い陶板と白の漆喰で彩られ、建物上部の象徴的な女性の巨大マスカロン(仮面彫刻)や孔雀などが迫力ある装飾を構成。華麗なアール・ヌーヴォー建築は一見の価値ありです。
7. 射手通り4a(Strēlnieku iela 4a)の建物
「Strēlnieku iela 4a」の建物はミハイル・エイゼンシュテインの設計で1905年に建てられたアール・ヌーヴォー建築。女性像や神話のレリーフなど豪華な装飾の美しさが特徴。もともと私立学校として建てられ、ソ連時代は学生寮として利用され、現在はストックホルム経済大学などが入っています。
【3】エイジェンス・ラウベ設計の建築物(3つ)
ドイツ系ラトビア人のエイジェンス・ラウベ(Eižens Laube、1880〜1967年)は、ラトビア建築界を代表する巨匠の一人。ナショナル・ロマンティシズムとアール・ヌーヴォーを融合したスタイルで知られています。1900年からコンスタンティンス・ペクシェーンスの建築事務所で働き始め、1907年に独立。ラトビア応用科学大学の建築学部教授、ラトビア建築家協会の会長などを務めています。
リガ市内には200を超える建築作品が現存し、その多くが文化的遺産として評価されています。彼の作品は、自然素材の活用、塔やバルコニーを強調した垂直性あるフォルム、花や幾何学モチーフによる装飾性が特徴。1930年代にはリガ城などの修復、国家的建築整備にも携わっています。1944年にドイツに亡命、1950年に米国へ移住し、1967年にオレゴン州ポートランドで生涯を閉じています。
1. アルベルタ通り(Alberta iela 11)の建物
「Alberta iela 11」の建物は、エイジェンス・ラウベの設計で1908年に建てられたナショナル・ロマンティシズム期の集合住宅です。出窓部分の銅板で作られた太陽のモチーフの装飾など、建物全体的に民族的な装飾が程良く融合しています。
2. 自由通り33(Brīvības iela 33)の建物
「Brīvības iela 33」の建物は、エイジェンス・ラウベの設計で1912年にリガ商工業者相互信用組合銀行の本部として建てられました。もともと作曲家「リヒャルト・ワーグナー」が1837〜1839年に住んでいた木造建築が取り壊され、こちらの建物が建設されました。現在はオフィスや店舗が入っており、リガ発のブランド「Amoralle」の本店があります。
3. 自由通り37(Brīvības iela 37)の建物
「Brīvības iela 37」の建物は、エイジェンス・ラウベの設計で1909年に建てられたナショナル・ロマンティシズム建築の代表例。暗いグレー調のファサードは非対称で、突出した出窓、切妻屋根などが特徴。特に3〜4階間のスパンドレルに刻まれた3羽のフクロウのレリーフが見所です。なお、この建物はラトビアの文化財にも登録されています。
【4】ヤーニス・アルクスニス設計の建築物(1つ)
ヤーニス・アルクスニス(Jānis Alksnis、1869〜1939年)は、リガのアール・ヌーヴォー建築を代表する建築家の一人。ラトビアの著名建築家だった叔父のもとで経験を積み、ケーニヒスベルク建設学校で学び、トランスシベリア鉄道の建設に従事した後、1901年に建築監理の資格を取得し独立しています。
1901年から第一次世界大戦までの短期間に、リガで100棟以上の集合住宅や公共建築を残し、その多くが現存しています。そのため、彼の作品はリガが「アール・ヌーヴォーの都」として世界的に知られることに寄与しています。なお、第一次世界大戦後は建築活動から遠ざかり、1939年に亡くなっています。
石灰通り15(Kaļķu iela 15)の建物
「Kaļķu iela 15」の建物は、ヤーニス・アルクスニスの設計で1913年に建てられた旧相互信用組合銀行の建物。リガで初めてモノリシック鉄筋コンクリート構造を採用し、当時としては最先端技術を駆使して施工されました。現在はファストファッションブランド「RESERVED」などがテナントとして入っています。なお、自由の記念碑の近く、旧市街に位置しています。
【5】ポール・マンデルシュタム設計の建築物(1つ)
ポール・マンデルシュタム(Paul Mandelstamm、1872〜1941年)は、ロシア帝国下のラトビア・リガを中心に活躍したユダヤ人建築家。ラトビア国境に位置するリトアニアの町「ザガレ(Žagarė)」で生まれ、リガ工科大学で建築及び土木工学を学んだ後、多くの公共施設や集合住宅の設計に携わりました。
彼の作風は主にユーゲント・シュティール(アール・ヌーヴォー)やネオクラシック、機能主義など多様であり、時代の流れに応じて様式を変化させました。リガで50棟以上の建築物を設計しましたが、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツがラトビアを占領した1941年にリガの刑務所で銃殺されています。
鍛冶屋通り23(Kalēju iela 23)の建物
「Kalēju iela 23」の建物は、ポール・マンデルシュタムの設計で1903年に建てられたアール・ヌーヴォー建築です。玄関上の突き出した部分は栗の葉を模した装飾で彩られ、中央には金箔仕上げの「太陽モチーフ」が輝く時計のようにデザインされています。旧市街の聖ペテロ教会近くに位置し、見ていると元気をもらえる建物として必見です。
【6】ヴィルヘルムス・ボクスラーフス設計の建築物(1つ)
ヴィルヘルムス・ボクスラーフス(Vilhelms Bokslafs、1858〜1945年)は、リガを拠点に活動した著名なバルト・ドイツ人建築家。リガ工科大学で建築学を学び、1885年に卒業した後も大学に残り、同大学教授のヨハナ・コハ(Johana Koha)の助手等として経験を積みました。その後、自身の建築事務所を開設し独立しています。
彼の作品は歴史主義様式から始まり、後にアール・ヌーヴォーやネオゴシック、ネオルネサンス、さらにはナショナル・ロマンティシズムの影響を取り入れるなど、多様なスタイルが特徴です。特にリガでは、都市の近代化に大きく貢献し、市街の景観形成に重要な役割を果たしました。ソ連のラトビア侵攻により、ポーランドのポズナンへ移住しましたが、1945年3月にソ連軍の爆撃により亡くなっています。
砂通り6(Smilšu iela 6)の建物
「Smilšu iela 6」の建物は、ヴィルヘルムス・ボクスラーフスの設計で1912年に建てられた旧リガ第一相互信用組合銀行。新古典主義、アール・ヌーヴォー様式で、重厚で整然としたシンメトリカルな構造が特徴。窓間に施された金箔のモザイク装飾が見所です。
最後に
リガの街を歩けば、時代や建築様式の移り変わりを肌で感じることができます。特に19世紀後半から20世紀初頭にかけて活躍した6名の建築家たちは、それぞれ異なる美学と創造性を持ち、リガの街並みに豊かな個性と文化的深みを加えました。
アール・ヌーヴォーだけでなく、歴史主義やナショナル・ロマンティシズムなど多彩なデザインが融合することで、建築が単なる構造物ではなく、芸術や思想の表現の場になっていることが分かります。ぜひみなさんもリガの街歩きを楽しみながら、建築物巡りをしてみてください。
なお、今回紹介した場所は以下のグーグルマップで確認してください。